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マニラ旅行のマストスポット!リサール公園(Rizal Park)

マニラ旅行のマストスポット!リサール公園(Rizal Park)

マニラ旅行のマストスポット!リサール公園(Rizal Park)

メトロマニラで訪れたい観光スポットの一つが、リサール公園(Rizal Park)です。

リサール公園は、フィリピンで最も重要なランドマークの一つ。メトロマニラを旅行するなら一度は見ておきたい観光スポットです。

なぜ、そこまで重要な観光スポットと位置づけられているのでしょうか?

リサール公園は、58ヘクタールもの広大な土地があり、豊かな自然が広がります。しかし、リサール公園は、ただ自然の中でリラックスする憩いの場ではありません。スペイン統治時代から現在まで、約100年以上の歴史を持つ国の重要な文化財です。

今回は、リサール公園の魅力をご紹介します。

 




 

ホセ・リサールを追悼する

(Photo from WIKIMEDIA COMMONS)

リサール公園へ行くとすぐ目に入るのが、巨大なモニュメント。フィリピンで最も知られたモニュメントではないでしょうか。

このモニュメントには、フィリピンの英雄ホセ・リサール(Jose Rizal)の遺体が安置されています。モニュメントにはホセ・リサールの像も置かれています。人々は、ホセ・リサールがフィリピン国民に残した多くの遺産に対し、感謝の気持ちを持ってリサール公園に訪れます。モニュメントの前では、衛兵が24時間監視しています。

◆ホセ・リサール(1861年6月19日 - 1896年12月30日)
ホセ・リサール(Jose Rizal)は、フィリピンの革命家です。フィリピン独立運動の指導者だったため「国民的英雄」と称されています。『ノリ・メ・タンヘレ(私にさわるな)』、『エル・フィリプステリスモ(反逆・暴力・革命)』を出版し、スペイン支配を激しく告発しました。革命家であり、医師、著作家、画家、学者でもありました。

モニュメントのすぐ目の前に、フィリピンで最も高いフラッグポール『インデペンデンス・フラッグポール(Independence Flagpole)』が建てられています。高さは150フィート。こちらも必見です。

 

ホセ・リサールが処刑された場所を見る

(Photo from WIKIMEDIA COMMONS)

ホセ・リサールが処刑されたのは1896年12月30日。ホセ・リサールはこの時35歳でした。この日、バグンバヤン広場(現在のリサール公園)で、多くのフィリピン民衆が見守る中、ホセ・リサールは銃殺されました。現在、12月30日は「リサールの日」に指定され、フィリピンの祝日となっています。

リサール公園のモニュメントから約100メートルの場所に、ホセ・リサールが処刑された場所があり、等身大のジオラマが置かれています。まさに処刑された時の光景が再現されています。

 

フィリピンの英雄たちを追悼する

(Photo from WIKIMEDIA COMMONS)

リサール公園の中心にある、セントラル・ラグーン(Central Lagoon)という場所に大きな池があります。この周りに、フィリピンの歴史上活躍した英雄たちの像が並べられています。

フィリピン各地で活躍した英雄たちは、日本人はあまり聞いたことがないかもしれません。だからこそ、フィリピンの歴史にどのように貢献したのか、1つずつ説明を読んでいくと面白いと思います。

例えば、こんな英雄たちがいます。スペイン人に対する反抗や、フィリピン独立のために戦った英雄たちです。

 

Juan Ponce Sumuroy(フアン・ポンセ・スムロイ)
【1649年 – 1650年】ワライ族の英雄。北サマール島で、ワライ族のリーダーとなりスペイン人に反抗し「スムロイの乱(Sumuroy Rebellion)」を起こした。これはフィリピンで最初の民衆反乱で、1649年~1650年の間続いた。最終的に、スムロイは山中に立てこもった後、殺された。

Marcelo H. Del Pilar(マルセロ・ヒラリオ・デル・ピラール)
【1850年8月30日 – 1896年7月4日】フィリピンの作家であり、編集者。『タガログ新聞』を創刊し、修道会による地方政治支配を批判した。また、バルセロナで『団結』を結成し、マドリードでフィリピン人留学生たちを組織しプロバガンダ運動を始めた。ホセ・リサールも含まれる『プロパガンダ運動の3人の指導』と呼ばれたうちの一人である。

Gregorio Aglipay(グレゴリオ・アグリパイ)
【1860年5月5日-1940年9月1日】『フィリピン独立教会(Philippine Independent Church)』の創立者。北イロコス出身で、カトリック司祭だったが、アギナルド革命軍に参加し、1902年にカトリック教会から破門される。その後、フィリピン独立教会を設立し、多くの信者を引き付けた。フィリピン独立教会の信者は設立から数年で150万人に達した。

 




 

ゴンブルザ事件(GOMBURZA)の処刑場となった場所

(Photo from WIKIMEDIA COMMONS)

さきほど、1896年にホセ・リサールが処刑された場所として有名であることをお伝えしました。

じつは、ホセ・リサールが処刑される以前から、リサール公園は処刑場として人々に知られていました。

その理由は、ゴンブルザ事件(GOMBURZA)です。ゴンブルザ事件は、1872年2月17日、フィリピン民族主義運動に活動していた3人の神父が処刑された事件。3人はリサール公園で絞首刑によって処刑されました。

処刑されたのはMariano Gomez(ゴメス)、Jose Burgos(ブルゴス)、Jacinto Zamora(サモーラ)の3人。この処刑のことを、3人の第一音節を取って『ゴルブルザ(GOMBURZA)事件』と呼びます。

ホセ・リサールは、この処刑が行われた時に、彼の2冊目の小説『エル・フィリプステリスモ(1891年)』の執筆を決意しました。この小説はゴンブルザ事件を題材としています。

処刑場となったのは、ホセ・リサールが処刑された場所から歩いて数歩の場所です。

 

ラプラプ(Lapu-Lapu)の巨大な像を見る

(Photo from flickr)

ラプラプ(Lapu-Lapu)もまた、有名なフィリピンの英雄です(1491年-1542年)。リサール公園には、ラプラプの40フィートの彫像が置かれています。この像は、2005年に韓国から贈られたものです。

16世紀、ラプラプはマクタン島の領主で、イスラム教徒の部族長でした。

1521年3月28日、世界一周の航海の途中、マゼランがセブ島に上陸。セブの領主ラジャ・フマボン(Rajah Humabon)を改宗させ、続いて何百人もの人々が洗礼を受けました。その後マゼランは、セブ島周辺の首長たちにも、キリスト教への改宗と服従を要求するようになります。

マクタン島首長であったラプラプは、マゼランの要求に反抗。マゼラン一軍をマクタン島の戦いで破りました。そのため、フィリピンでは民族の誇りをマゼランから守った国民的英雄とみなされています。




 


 

いかがでしたか?

リサール公園の魅力をお届けしました。「リサール公園に行ったけど、何を見たらいいかよくわからなかった」ということがないよう、見どころをしっかり押さえて観光してくださいね。

リサール公園周辺には、フィリピン国立博物館や城壁の街イントラムロスなど、有名観光スポットが数多くあります。併せて観光すると充実した1日になると思います。

 

マニラの現地口コミを書いています。
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◆リサール公園 詳細情報
住所:Roxas Blvd Ermita, Barangay 666 Zone 72, Manila, 1000 Metro Manila

 


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